ブラームス/2つの変奏曲 作品21
(Johannes Brahms : Zwei Variationen, Op.21)

1853年、ハ長調のピアノ・ソナタで作曲家としてデビューした20歳のブラームスは、年内に3番目のピアノ・ソナタを書き上げてしまうと、もはやこのジャンルへの興味を失い、二度とピアノ・ソナタの筆を執ることはありませんでした。
3つのソナタの後、ブラームスの関心は変奏曲に向けられます。1854年の「シューマンの主題による変奏曲」作品9から61年の「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」作品24に至るまで、作品10の「4つのバラード」を除けば、ピアノのための作品はすべてが変奏曲となっております。

作品21は2つの変奏曲から成っておりますが、この2曲の作曲時期には隔たりがございます。

「ハンガリーの歌による変奏曲」は現存するブラームスの変奏曲としてはもっとも初期のもので、1853年頃の作曲と考えられております。
この時期のブラームスはピアノ・ソナタに集中しており、第1番・第2番のソナタでは、ともに緩徐楽章に変奏曲が用いられておりますが、独立した変奏曲としては「ハンガリーの歌による変奏曲」が最初のものでございます。
主題は三拍子+四拍子の複合拍子によるもので、おそらくはヴァイオリニストのレメーニと組んでドサ回り的な演奏旅行をしていた際に耳にした旋律であろうかと思われます。
譜面上は13の変奏となっておりますが、第13変奏の後には全曲のフィナーレと申すべき四分の二拍子の大がかりなアレグロが置かれ、曲の最後にはハンガリーの主題が再現されて終わります。主題は8小節で繰り返しもなく、それに続く変奏もブラームスにしてはシンプルな書法で書かれております。一方で所々にジプシー音楽的な風貌が見られ、後年の「ハンガリー舞曲集」に通じる熱狂的な雰囲気も備えております。

「自作主題による変奏曲」は1857年、ブラームス24歳の年の作ですが、「ハンガリーの歌による変奏曲」と比較すると、その進境には目を見張るものがございます。
この間に、ブラームスはベートーヴェンの変奏曲を研究し「和声構造を保持しつつ旋律的には自由に想像力を働かせるべきである」という結論に達しました。彼はヨアヒムに宛てた手紙で「われわれは旋律を臆病なくらいに保存していて、それを自由にとり扱い、そこから本質的に新しいものを作ることをしていない。旋律のみに頼りすぎている」(門馬直美・訳)と書いております。
こうした研鑽の結果として書かれたのが「自作主題による変奏曲」で、「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」の前触れと申してもよい力作となっております。
主題は9小節の大楽節2個から成るもので、それ自体かなり複雑な造りでございます。ちなみに、ブラームスの独立した変奏曲で自作の主題が用いられたのは、この曲が唯一です。
主題には11の変奏が続きますが、第11変奏に続いて第12変奏というべき部分が全曲の終結部として書かれております。主題も含めて隅々まで精緻に書き込まれており、「ヘンデル変奏曲」以前ではもっとも優れた変奏曲と申してもよろしいのではないでしょうか。

1862年、ジムロック社から出版する際、この2曲は作品21としてまとめられました。作曲時期も性格もまったく異なるこの2曲が同じ作品番号で括られた理由はよく存じませんが、おそらくは出版社の都合だったのではないでしょうか。
それはともかく、「自作主題による変奏曲」はブラームス変奏曲における傑作のひとつと考えられ、もっとよく知られてもよいのではないかと存じます。


自作主題による変奏曲 作品21-1(Variationen über ein eigenes Thema, Op.21-1) 
ハンガリーの歌による変奏曲 作品21-2(Variationen über ein ungarisches Lied, Op.21-2) 

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◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma