ボロディン/弦楽四重奏曲第1番 イ長調
(A. Borodin : String Quartet No.1 in A major)

学生時代に未完成品も含めてある程度の数の室内楽作品を書いていたボロディンは、1862年にバラキレフのグループに参加すると、室内楽からは離れて交響曲、歌曲、オペラなどに創作の重点を移します。
グループの指導者だったバラキレフは協奏曲や室内楽などは排斥すべき因習的ジャンルと考えており、その考えがグループ内で支持されていたこともあり、1860年代にこれらの曲種を試みる同人はおりませんでした。
しかし、グループの中でボロディンは若い頃から西欧の古典音楽に親近感をもっており、バラキレフが音楽活動から離脱した1874年から翌年にかけて、弦楽四重奏曲の作曲に取り組みます。ボロディンのこの行動は、グループの中心人物であったスターソフやムソルグスキーから強い非難を浴びますが、ボロディンはこのような抗議に屈せず、作曲を続けます。

ところでこの時期、40歳を過ぎたボロディンは大学教授として研究・教育で多忙を極め、さらに第2交響曲や「イーゴリ公」も並行して作曲を進めており、弦楽四重奏曲に専念することはできませんでした。
スケッチそのものは1875年のうちに書き上げられたようですが、完成までには長年月を要し、結局脱稿したのは1879年の夏休みのことでした。この時ボロディンは45歳、着手からはほぼ5年が経過しておりました。
初演は翌年末にサンクト・ペテルブルクで行われましたが、準備不足で失敗。1881年の1月に再演され、今回は成功を収めることができました。
曲はリムスキー=コルサコフの夫人ナジェージダに献呈されております。

ボロディンは2曲の弦楽四重奏曲を残しておりますが、一般によく知られておりますのは、いうまでもなく「夜想曲」を含む第2番でございます。最大の理由は、第2番が全曲にわたってのびやかで魅力的なメロディに彩られている点でしょう。
これに対して、第1番は構成に重点を置いた正統派ふうの音楽で、ロシア的な第2番に比べてドイツ的と評されることも少なくありません。
とりわけ、第1楽章の第1主題がベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番の終楽章の引用で作られており、ボロディン自身がそれを公言していることから、ボロディンがベートーヴェンをリスペクトしていることは明らかです。
とはいえ、ベートーヴェンの作ながら、ここではその主題はドイツ的というよりもむしろロシア的な旋律という気がいたします。さらに、第2主題はボロディン風味全開のメロディで、この作品がドイツ古典派の亜流などではないことを雄弁に主張しております。

全曲は4つの楽章から成っておりますが、ボロディンの他の交響曲や第2弦楽四重奏曲とは異なり、スケルツォが第3楽章に置かれた唯一の作品となっております。また、両端楽章いずれも緩やかな序奏で始まるのも他に例がございません。
さらに、全体として対位法的な手法が目立ち、第2楽章などは中間部がまるまるフガートで書かれております。こうした点も、この作品がドイツ的と評される要素のひとつと思われますが、このような伝統的な書法はボロディン独自の半音階的和声法の中に自然に溶け込んでおり、例えばブラームスの作品などとは印象がまったく異なります。
また、この曲でボロディンは音色面でも新しい試みに挑んでおります。それは第3楽章スケルツォのトリオで主題をハーモニックス奏法で歌うという箇所で集約的に表されております。

「あそびの音楽館」では、この意欲的な作品を、ピアノ連弾の形に編曲して掲載させていただきます。ピアノで演奏しておりますため、前述したような音色面の面白味はございませんが、その点はご了承願います。
お楽しみいただければ幸甚です。


弦楽四重奏曲第1番イ長調・全曲連続再生 

第1楽章:モデラート ― アレグロ (I. Moderato - Allegro) 
第2楽章:アンダンテ・コン・モート (II. Andante con moto) 
第3楽章:スケルツォ:プレスティッシモ (III. Scherzo : Prestissimo) 
第4楽章:アンダンテ ― アレグロ・リゾルート (IV. Andante - Allegro risoluto) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma