ベートーヴェン/交響曲第8番 ヘ長調 作品93 (Beethoven : Symphony No.8 in F major, Op.93) |
19世紀の最初の10年、とりわけ1804年の第3交響曲「英雄」を皮切りとするベートーヴェンの創作力の奔流は、1810年頃を境にして沈静化いたします。 この時期、ヨーロッパはナポレオンの支配下にあり、大陸封鎖令によってその経済活動は斜陽化の一途をたどっておりました。そのような世情はウィーンのベートーヴェンの生活にも波及し、「傑作の森」を通り抜けた直後のベートーヴェンは、これまでで最悪と申してよい経済的苦境に立たされたようでございます。 |
1811年から翌年にかけて、ベートーヴェンは第7、第8の2つの交響曲を立て続けに書いております。おそらくベートーヴェンとしては、新作交響曲をメインに据えた公開演奏会での収入をあてにしていたと思われますが、この2曲の交響曲はルドルフ大公のもとで私的に初演はされたものの、そのまま公的に発表する機会には恵まれず、これら交響曲のスコアは空しく埃をかぶっておりました。 |
ところがここに登場するのが、メトロノームの製作者として名高いメルツェル(Johann Nepomuk Merzel, 1772〜1838)でございます。 メルツェルはウィーンの機械技師で、1805年に「パンハルモニコン」という自動演奏機械を発明し、この楽器と申しますか、機械のための作曲をベートーヴェンに依頼したのでございます。
メルツェルが話を持ちかけたのは1813年、ウェリントン将軍率いる連合軍がナポレオンのフランス軍に大勝したヴィトリアの戦いをテーマにした祝典曲を、という依頼でした。ベートーヴェンがこのテーマそのものにどれほど真摯な創作意欲を抱いたのかわかりませんが、ともかく曲は書かれたものの、最終的には通常のオーケストラ(ただし当時としては超大編成)用に編曲され、「ウェリントンの勝利、またはヴィトリオの戦い」というタイトルで初演されることになりました。これこそ今日、ベートーヴェン畢生の駄作として名高い「戦争交響曲」でございます。
気をよくしたベートーヴェンは、1814年2月27日には第7と「戦争交響曲」に加えて、第8交響曲の初演も含めたコンサートを開催いたします。この演奏会も大成功で、その後の演奏会では、しばしば「戦争交響曲」プラス第7・第8というプログラムでベートーヴェンの名はヨーロッパを席巻したようでございます。実際、それ以降のベートーヴェンの生活を支えた資産の多くはこの時期の収入に拠っていると申して過言ではないようです。
ところが、大人気の「戦争交響曲」と第7とともにしばしば演奏されながら、どういうものか第8だけは人気が出ないのでございました。
今日に至りましても、第8交響曲はベートーヴェンの交響曲では軽量級と見なされております。実際、物理的な演奏時間は最初期の第1とどっこいどっこい、緩徐楽章に相当する楽章がなく、熱狂的な第7に比べて表現もどこか温和、というような諸々の理由から、初演以来軽い扱いを受け続けているきらいがございます。
「あそびの音楽館」では、この曲を2台ピアノ用にJun-Tが編曲したものを公開することにいたしました。 |
(2015.9.24〜10.8) |
◇「ベートーヴェン/交響曲全集」に戻ります◇ | |
◇編 曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |