ビーチ/交響曲ホ短調「ゲーリック」作品32 (Beach : Symphony in E minor, Op.32 "Gaelic") |
幼年期から音楽の神童的な才能を発揮したエイミー・ビーチですが、「女は家庭に入って慎ましく生きるべき」という母親の古風な考えに従い、18歳で結婚してピアニストとしては引退同然となりました。しかし、創作活動は夫に認められており、ピアノ曲や歌曲を中心に、20歳代前半までに、かなりの数の作品を発表しました。 1893年、シカゴで開催された万国博覧会の「女性館」で演奏する作品を委嘱されたビーチは、声楽とオーケストラのための「歓喜の祝典」作品17を発表して好評を得ます。 |
この作品は「女性にも大規模な作品を作曲する能力があることを証明した」と評されたそうで、作曲界が男性のものだった時代を感じさせます。
翌1894年の1月、ビーチは交響曲の作曲に着手いたします。ちなみに、前年の12月に当時ニューヨークのナショナル音楽院で院長の職にあったドヴォルザークの「新世界」交響曲が初演されて大評判となっており、ビーチもこの曲を聴いております。ひょっとすると「新世界」がビーチの創作意欲を刺激したのかもしれません。 「単純で無骨で気取らない美しさから、私は北方の先祖であるゲール人の音楽をシンフォニックな形で発展させようとしました。ゲール人の民謡はとても魅力的だったので、真剣に体系化することにしました。その結果がこの交響曲です。テーマのほとんどは、この民俗音楽からの実際の引用であり、私が同じイディオムと精神で維持しようとしたオリジナルのものです」
1896年の春、交響曲は完成しました。ビーチはこれに「ゲーリック」すなわち「ゲール(ケルト)ふう」という副題を付け、交響曲の音楽的由来を明示しました。ビーチ29歳の年でございます。
【ミュージック・クーリエ評】
【ボストン・サンデー・ジャーナル評】
【ブルックリン・スタンダード・ユニオン評】
これらを見ると、称賛にしても批判にしても、作曲者が女性であることで多かれ少なかれ性差別的なバイアスがかかっていることがうかがえます。やはり時代というものでしょう。 全曲は4楽章で構成され、緊密な構成感はブラームスを思わせますが、ゲール音楽の風味が独特の味わいをもたらしております。ただし、それは隠し味のようなもので、通常の国民楽派的な音楽とは一線を画し、正統派交響曲の風格をもつ重厚な作風でございます。 ここでは、この交響曲を2台のピアノのために編曲してみました。お楽しみいただければ幸甚です。 |
交響曲ホ短調「ゲーリック」作品32・全曲連続再生 | ||
第1楽章/アレグロ・コン・フォーコ(I. Allegro con fuoco) | ||
第2楽章/アラ・シチリアーナ(II. Alla Siciliana) | ||
第3楽章/レント・コン・モルト・エスプレッシオーネ (III. Lento con molto espressione) | ||
第4楽章/アレグロ・ディ・モルト(IV. Allegro di molto) | ||
◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇ | |
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録音:jimma | |