バラキレフ/交響曲第1番 ハ長調
(M. A. Balakirev : Symphony No.1 in C major)

生涯に2曲以上の交響曲を残した作曲家のうち、第1交響曲に時間をかけた人といえばブラームスが有名ですが、バラキレフの場合は着想から完成までに30年以上を費やしており、時間がかかっているということでいえばトップクラスと申してよろしいでしょう。

バラキレフは自分の許に集まってきた若い作曲家たちに、まずは交響曲を書くように指導するのが常でした。

リムスキー=コルサコフとボロディンの最初の交響曲はこうしたバラキレフの意向に従って完成されましたが、ご本人は1863年に交響曲に着手したものの、やがて作曲は中断、完成されたのはなんと着想から34年を経た1897年でございました。

この交響曲が初演された当時、ロシア楽壇はかつてバラキレフが「5人組」の総帥として活躍していた頃とは大きく様変わりしていました。
モスクワではチャイコフスキーの影響力がその没後も大きく、サンクト・ペテルブルグでは「5人組」の最若年だったリムスキー=コルサコフが音楽界の中心人物の位置にあり、交響曲のジャンルではリムスキー=コルサコフ門下のグラズノフが続々と新作を世に問うという状況。
そうした中でバラキレフはもはや過去の人になっており、その交響曲が大きな注目を集めたとはいえないのも無理のないことでした。

指揮者のワインガルトナーは、1900年に「ベートーヴェン以後の交響曲」の中で、ロシアの交響曲についてはボロディンの作品を賞賛し、チャイコフスキーの「悲愴」の構成を話題にし、グラズノフにも興味を示しておりますが、バラキレフの名はバすら書いておりません。交響曲の完成がわずか数年前のことですので、ワインガルトナーが曲を知らなかったことは充分に考えられますが、それから30年以上を経た、これもよく読まれたコンスタント・ランバートの「Music, Ho!」でも、19世紀ロシアの交響曲としてはボロディンの作品が傑作として取り上げられているだけで、ここにもバの字もございません。
わが国でも1970年頃に井上和男氏が「作品としては色あせたものである」と書いており、ロシア国内ではともかく、バラキレフの交響曲はこれほど知名の人物の作品としては、世界的には知られることが非常に少なかったと申せましょう。
今日の耳で聴いてみますと、たしかに19世紀も終わりに近い時期の交響曲としては、新しさという面ではインパクトに欠けるきらいがあることは否定できません。同時代にはすでにマーラーが第3交響曲まで書き上げており、純然たるロシア国民楽派の時代はもはや終わっていたといわなければなりません。
しかしながら、この曲のもつロシア情緒や、地味ながらも堅実な音楽は、一部の人々には支持されてきたものと思われます。コンサートで取り上げられる機会には恵まれないとはいえ、現在では愛好する聴衆も増えているのではないでしょうか。

第1交響曲は4つの楽章から成っております。スケルツォを第2楽章に置き、緩徐楽章と終楽章がアタッカで結ばれている点は、ちょっとボロディンの第2交響曲を思い起こさせます。しかしながら、ボロディンの交響曲が無駄を排し、緊密な構成をもっているのに対し、バラキレフのそれはより大きな広がりを得ようとしながらも、全体に密度の薄い感があることは否定できません。とはいえ、この曲にはバラキレフなりの創意工夫があり、興味を惹く点もございます。

第1楽章はとりわけ特異な構成をもっております。ゆっくりした序奏では、主要部分の2つの主題が提示され、快速のアレグロに受け継がれます。変わっているのはこの主要部分で、初めのうちは典型的なソナタ形式の提示部に思えるのですが、長大な展開部には再現部が続かないのです。というより、展開部と再現部が融合してしまっていて、聴く者は再現部を認識できません。すなわち、これは正規の再現部をもたないソナタ形式と申すべきであり、楽章が終結しても通常の完結感がないという一種の効果がございます。
第2楽章以降は通常の形式で書かれておりますが、特筆すべきは第3楽章で、ここにはこの曲の旋律的魅力が凝集した感がございます。この交響曲のセールスポイントと申してもよい音楽で、この楽章からこの作品に親しむようになった聴き手も少なくないと思われます。
終楽章はロンドふうの形式をとっていますが、ボロディンの「イーゴリ公」を想起させるエピソードがあり(第2幕「コンチャーク汗のアリア」)、この旋律と主要主題であるロシアのテーマが同時進行で演奏される箇所など、ますますボロディンを連想させます。ボロディンの作品がこの交響曲より20年ほども前に書かれていることを考えると、逆にボロディンの先進性が印象づけられる気がいたします。

さて、1860年代に国民楽派の指導者として精力的に活動したバラキレフは、1870年代の中頃から1880年代にかけて音楽活動から遠ざかっておりました。
1883年にモスクワ音楽院を卒業したピアニストで作曲家のリャプノフ(Sergey Michaylovich Lyapunov、1859〜1924)はその頃バラキレフと出会い、その人格と音楽に強い感銘を受け、1885年以降はバラキレフ晩年の弟子兼秘書のような存在となりました。
リャプノフはバラキレフの2つの交響曲をピアノ連弾用に編曲しており、弊サイトで用いられているスコアもリャプノフの手に成るものでございます。
多少なりともお楽しみいただければ幸いに存じます。


交響曲第1番 ハ長調・全曲連続再生 

第1楽章:ラルゴ ― アレグロ・ヴィーヴォ(I. Largo - Allegro vivo) 
第2楽章:スケルツォ;ヴィーヴォ(II. Scherzo ; Vivo) 
第3楽章:アンダンテ ― 第4楽章:フィナーレ;アレグロ・モデラート 
   (III. Andante - IV. Finale ; Allegro moderato) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:S. リャプノフ ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma