バラキレフ/ピアノ・ソナタ 変ロ短調 (Balakirev : Piano Sonata in B flat minor) |
19世紀の60年代から70年代にかけて、ペテルブルグを中心に活動した「力強い集団」 ―― 通称「ロシア五人組」は、ロシア国民音楽の大胆な開拓者グループでございました。 スターソフを理論面でのスポークスマンとし、ボロディン、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフを主要メンバーとして擁するこの一団の指導者、それがバラキレフでございます。
バラキレフは1850年代にピアニストとして音楽活動をスタートいたしましたが、当時ロシアではイタリア・オペラが全盛で、グリンカのような大家さえも楽壇の片隅で逼塞するというような状況でございました。
これらの作曲家たちは、上に見るようにバラキレフを除いてすべてアマチュアでございます。バラキレフ自身、ピアニストではありましたが、作曲については正式の教育を受けておりません。
バラキレフは仲間たちにロシア民謡の研究と先端的な西欧音楽の摂取を示唆いたしました。自国の作曲家としてはグリンカとダルゴムィジスキーを、国外の作曲家としてはベルリオーズ、シューマン、ショパン、リストを模範として勉強することを勧めるとともに、自らもその方針に従って作曲活動を推進いたします。
1869年、帝室宮廷礼拝堂の監督とロシア音楽協会の指揮者に任命された頃が、バラキレフのもっとも輝いていた時期でございましょう。バラキレフの影響力は音楽院にも及び、モスクワ音楽院で教鞭を執っていたチャイコフスキーがバラキレフの助言を求め、ペテルブルグ音楽院には子飼いのリムスキー=コルサコフを教授として送り込むなど、「力強い集団」の前途は洋々と思われました。
バラキレフが楽壇に復帰したのは1880年代も半ばを過ぎた頃で、旧作の改作などを細々とやっておりましたが、1890年代に至りますと、これまでの空白を埋めようとするかのように旺盛な創作活動を再開いたします。
バラキレフはピアノ・ソナタを2曲残しております。
全曲は外見上は伝統的な4楽章構成となっておりますが、第1楽章は一応ソナタ形式の構造をとりながらも、バロック組曲ふうの対位法的な書法の目立つ前奏曲的な音楽、スケルツォ楽章に相当する第2楽章はスケルツォではなくマズルカ、第3楽章は緩徐楽章というより終楽章への導入部の趣きがあり、これら3つの楽章は第4楽章に向けての長大な序奏といえそうな構成をもっております。 私はこの曲を聴いたことがなく、あくまで楽譜から受けるイメージだけで音にしておりますので、ひょっとするととんでもない的外れな演奏になっているのではないかという危惧がございますが、その辺はなにとぞご容赦願いますm(__)m |
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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様 | |
◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |