バラキレフ/ピアノ・ソナタ 変ロ短調
(Balakirev : Piano Sonata in B flat minor)

19世紀の60年代から70年代にかけて、ペテルブルグを中心に活動した「力強い集団」 ―― 通称「ロシア五人組」は、ロシア国民音楽の大胆な開拓者グループでございました。
スターソフを理論面でのスポークスマンとし、ボロディン、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフを主要メンバーとして擁するこの一団の指導者、それがバラキレフでございます。

バラキレフは1850年代にピアニストとして音楽活動をスタートいたしましたが、当時ロシアではイタリア・オペラが全盛で、グリンカのような大家さえも楽壇の片隅で逼塞するというような状況でございました。
このような現状に大いに不満をもち、ロシア人の手になる独自の音楽の必要性を痛感していたバラキレフは、1856年に陸軍士官でアマチュア音楽家のキュイと出会って意気投合し、国民的音楽の創造という開拓者の道を踏み出します。
翌1857年には同じく陸軍士官のムソルグスキーが、1861年には海軍士官のリムスキー=コルサコフが参加し、1862年には化学者のボロディンが仲間入りすることで、「ロシア五人組」の顔ぶれが勢揃いいたします。

これらの作曲家たちは、上に見るようにバラキレフを除いてすべてアマチュアでございます。バラキレフ自身、ピアニストではありましたが、作曲については正式の教育を受けておりません。
そもそもこの時代、ロシアには音楽を専門に教育する音楽学校というものは存在しませんでした。音楽を正式に勉強しようとするなら、個人教授か国外留学しかなかったのでございます。ロシア最初の音楽学校であるペテルブルグ音楽院が設立されたのは、ボロディンがグループに加わった1862年のことでございました。
しかしながら、バラキレフはこのアマチュア作曲家たちに大いに期待いたしました。専門的な教育を受けていないこと、これすなわち既成概念に囚われない創作活動の要件と考えていたのでございます。

バラキレフは仲間たちにロシア民謡の研究と先端的な西欧音楽の摂取を示唆いたしました。自国の作曲家としてはグリンカとダルゴムィジスキーを、国外の作曲家としてはベルリオーズ、シューマン、ショパン、リストを模範として勉強することを勧めるとともに、自らもその方針に従って作曲活動を推進いたします。
こうして、キュイのオペラ「ウィリアム・ラトクリフ」、リムスキー=コルサコフとボロディンの第1交響曲などが世に送られ、「力強い集団」はロシア楽壇において一目置かれる存在へと成長したのでございました。

1869年、帝室宮廷礼拝堂の監督とロシア音楽協会の指揮者に任命された頃が、バラキレフのもっとも輝いていた時期でございましょう。バラキレフの影響力は音楽院にも及び、モスクワ音楽院で教鞭を執っていたチャイコフスキーがバラキレフの助言を求め、ペテルブルグ音楽院には子飼いのリムスキー=コルサコフを教授として送り込むなど、「力強い集団」の前途は洋々と思われました。
ところが、好事魔多しと申しましょうか、1870年代になりますと、独自の表現方法を追求してきたムソルグスキーがグループから距離を置くようになり、音楽院に送り込んだリムスキー=コルサコフは古典音楽に目覚めてこれまたバラキレフの統制を離れ、バラキレフ自身も音楽監督と協会指揮者の地位を追われる有様。
理想と現実の落差に精神的打撃を受けたバラキレフは、ついに音楽の道を捨てる決意を固めるに至るのでございます。

バラキレフが楽壇に復帰したのは1880年代も半ばを過ぎた頃で、旧作の改作などを細々とやっておりましたが、1890年代に至りますと、これまでの空白を埋めようとするかのように旺盛な創作活動を再開いたします。
2曲の交響曲、ピアノ協奏曲第2番、多数のピアノ曲が書かれます。ここで取り上げておりますピアノ・ソナタ変ロ短調は、この時期の作品でございます。

バラキレフはピアノ・ソナタを2曲残しております。
最初のソナタは1856年の作で、調性は2番目のものと同じ変ロ短調でございます。もしかすると両者にはなにか関連があるのかもしれませんが、私は聴いたことも楽譜を見たこともありませんので、なんとも申し上げようがございません。
ここで取り上げております作品は、最初のソナタからほぼ50年後、1905年に書き上げられたものでございます。このときバラキレフは68歳。そのせいもあるのでしょうか、なんとなくこのソナタには人生の黄昏を迎えた人の手に成る作品らしい、寂寥感を帯びた詩情のようなものが感じられる気がいたします。

全曲は外見上は伝統的な4楽章構成となっておりますが、第1楽章は一応ソナタ形式の構造をとりながらも、バロック組曲ふうの対位法的な書法の目立つ前奏曲的な音楽、スケルツォ楽章に相当する第2楽章はスケルツォではなくマズルカ、第3楽章は緩徐楽章というより終楽章への導入部の趣きがあり、これら3つの楽章は第4楽章に向けての長大な序奏といえそうな構成をもっております。
第3楽章から休みなく続く終楽章は明らかにこのソナタの音響的な頂点として設計されておりますが、そのダイナミズムも最後には静かな余韻とともに終結し、寂寞とした印象を残します。

私はこの曲を聴いたことがなく、あくまで楽譜から受けるイメージだけで音にしておりますので、ひょっとするととんでもない的外れな演奏になっているのではないかという危惧がございますが、その辺はなにとぞご容赦願いますm(__)m


ピアノ・ソナタ 変ロ短調・全曲連続再生 

第1楽章/アンダンティーノ(I. Andantino) 
第2楽章/マズルカ:モデラート(II. Mazurka : Moderato) 
第3楽章/間奏曲:ラルゲット ― 第4楽章/終曲:アレグロ・ノン・トロッポ、
        マ・コン・フォーコ
 
 (III. Intermezzo : Larghetto - IV. Finale : Allegro non troppo, ma con fuoco)

◇「あそびのエトセトラ」に戻ります◇
◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma