ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
(Antonín Dvořák : Cello Concerto in B minor, Op.104)

19世紀に書かれたチェロ協奏曲の中で、もっとも有名な作品がドヴォルザークのこの曲です。さらにいえば、古今のチェロ協奏曲から選ぶなら、ドヴォルザークのものはシューマン、エルガーとともに3大チェロ協奏曲と申してよろしいでしょう。

この曲は1894年11月から95年2月にかけて、主として赴任先のニューヨークで書かれました。
かねてから、友人のチェリスト、ハヌシュ・ヴィハーンがチェロ協奏曲の作曲を依頼していましたが、ドヴォルザークはこの編成では独奏とオーケストラのバランスが難しいという理由で手を出しておりませんでした。ところが、1894年の夏休みに故国へ帰郷し、後ろ髪を引かれる思いで再びニューヨークに戻ると、ドヴォルザークは以前の態度を放擲してチェロ協奏曲に取り組みます。強い望郷の念がチェロとオーケストラという渋い編成に最適な表現形態を見出したのかもしれません。

この曲の作曲中、かつての初恋の人とされる義姉のヨゼフィーナ・カウニツォヴァーが重態であることが伝えられ、ドヴォルザークは義姉への想いを込めて自作の歌曲「私にかまわないで」(作品82-1、1888年作)の旋律を第2楽章に引用しました。
1895年の夏、帰国したドヴォルザークは義姉の死に遭い、完成していたチェロ協奏曲の第3楽章のコーダに大幅に手を入れ、彼女への追悼の感情を盛り込みました。
初演は1896年3月、ロンドンで行われましたが、このときのチェリストはヴィハーンではなく、レオ・スターンでした。こうなった理由は、ドヴォルザークとの試演の際、ヴィハーンが自作のカデンツァを持ち込み、これを挿入することを求めたことで、ドヴォルザークを激怒させたためと思われます。
この件について、ドヴォルザークは出版者のジムロックに宛てた手紙で、大略以下のように書いております。
「この作品は、私が書いたとおりに印刷してください。ヴィハーンが終楽章のために書いたようなカデンツァを書き加えることも承知できません。ヴィハーンにカデンツァを見せてもらったとき、私はすぐに、そんなもので作品を汚すわけにはいかない、といってやりました」
このときの初演以来、この協奏曲はこの作曲家の最高傑作のひとつとして、今日に至るまで愛好され続けております。この曲を聴いたブラームスが「こんな曲を作れると知っていたら、自分も書いたのに」と絶賛したのは有名な話です。

全曲は3つの楽章から構成されております。
第1楽章は協奏的ソナタ形式を基盤としておりますが、再現部は第1主題を省略して第2主題の再現から始まります。これは協奏曲としてはかなり異例のことでございます。
第2楽章は牧歌的な部分と悲歌的な中間部による三部形式で、中間部では歌曲の旋律を短調に移して引用しております。
第3楽章はロンド形式ですが、コーダは緩やかかつ大がかりなもので、静かで瞑想的な部分に続いて壮大な響きで曲を結んでおります。このコーダについては、ドヴォルザーク自身が上述したジムロック宛の手紙で大略以下のように述べております。
「終楽章は、終わりにかけて徐々に吐息のような弱奏に変わり、第1楽章と終楽章とを回想してピアニッシモまで弱まる……そして、突然の盛り上がりがあったあと、激しい勢いで終わるのです。これが私の楽想であり、それを曲げることはできません」

「あそびの音楽館」では、この協奏曲をピアノ連弾の形でやっております。編曲者はクレンゲル(Paul Klengel;1854〜1935)という人ですが、この人物は著名なチェリスト、ユリウス・クレンゲル(Julius Klengel;1859〜1933)の兄で、ピアニスト・編曲者として活動いたしました。
ピアノで演奏されたチェロ協奏曲、お楽しみいただければ幸甚です。


チェロ協奏曲ロ短調 作品104・全曲連続再生 

 第1楽章:アレグロ(I. Allegro) 
 第2楽章:アダージョ・マ・ノン・トロッポ(II. Adagio ma non troppo) 
 第3楽章:アレグロ・モデラート(III. Allegro moderato) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇編 曲:P. クレンゲル ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma